爪が折れた
冷蔵庫を開こうとした瞬間のことである。
最近、よく爪が折れる。
不摂生な生活を送っているのだから爪が折れても不思議ではない。
よくあることだ。だがこの時の私にとっては大きな出来事であった。
このように小さな出来事はその瞬間は小さくても続けば徐々に大きさを増していく。
今日は爪が、昨日は卵を、洗濯物を干した後の通り雨、最後の一枚、音を立てながら点滅するキッチンの蛍光灯。
逆も然り。大きな事柄も毎日続けば小さくなるのである。
月に一度の贅沢は月に一度だから贅沢なのであって毎日してしまえばそれは日常になり贅沢ではなくなってしまう
うなぎを食べた瞬間は毎日食べたいと願うしお酒を飲んでいるときは常に酔うことが出来たら良いのに、と願う。
うなぎはさすがに毎日食べたら飽きが来るだろう。
お酒はどうだろうか。
私は四六時中酔っていたいと思う。シラフなんてなくて良い、と。
だがそれと同時にシラフがあるからこそ、この輝かしい酔いがあるとも思う。
そして酔いがあるからこそ、シラフがあるのだ。
シラフの頭がスッキリと感じるのは酔いでどんよりした脳みそがあるからこそだ。
マイナスを経験したとき我々はプラスをも経験することができるだろう。
プラスを経験できるかはその人次第であるがそのプラスに気づけたとき、人として何か進むと信じている。
私は気づいた。
という事はこの不摂生な生活で爪が折れた経験もプラスになるのではないだろうか。
否である。
爪が折れる前に爪を整える、それはわかりきっていたことなのだ。
「爪が薄くなっているな、そろそろ切るか何か塗って補強しないとな」
これは私が二日前に考えいていたことである。
そう、爪が折れるというマイナスを何度も経験しているから何をどうするべきかわかっているのだ。
では、なぜ私がなにもしなかったか。
めんどくさかったから。
やすりで爪を整える、ネイルを乾かす、だるかった。
そしていつも折れた後に整えてネイルをする。
今、私の左手の爪ははとても綺麗なワインレッドで染まっている。
形もものすごく綺麗だ。中指が特に気に入っている。
右手の爪はどうだろうか。
中指と薬指と小指だけが短い爪になっている。
「もうここまで折れたのならすべて切ってしまえばよかったな」、とベースコートを塗りながら思ってしまったがまた爪切りを出すのがめんどくさかったのでやめた。
折れた爪を探すが見つからなかった。
冷蔵庫を開け、いつもの缶チューハイを見つめ考える。
今日はやめておくことにした。
不摂生な生活の繰り返しで爪が折れたのだ、今日は休肝日にしよう。納豆をたべよう。
そうしたらマイナスの経験もプラスに変わるはずだ・・・と考え冷蔵庫を閉じた。
暗闇に感じるこの輝かしさは夕方に感じたものとは比べ物にならないくらい眩い。
次に折れたのは私の心であった。